「より多く」は「より良い」のか?
私が今月一番記憶に焼きついていることはなんだろう?
そう考えながらこの日記帳を書く準備をしていたら、
迷わずに内容が決まりました。笑
今月行った(私の本業とは関係のない)中国語のガイドのお仕事で、
依頼人の中国人家族の持ち物の多さと、ゴミの多さが
いちばん!(ぶっちぎり一番!!)目に焼き付きました。
今回は、私がなぜぶっちぎり一番で持ち物&ゴミの多さが
目に焼き付くほどの思い出になったのかを、
バガヴァッド・ギーターと呼ばれるインドの書物の内容と
合わせながら記事にしてみようと思います。
「より多く」は「より良い」のか?
その家族の持ち物を見て思ったのは、
現代社会では、「より多く」が常に「より良い」
という考え方なんだろうな、ということ。
もちろんヨーロッパではリサイクルの考え方が浸透していたり、
ハワイでもゴミを減らすための運動をしている人もいますから、
住んでいる地域ごとに差はあるでしょう。
でも、より多くの仕事、より多くの所有物、
より多くの経験を追い求めることが
成功と幸福への道だと信じられているのだろうな、
と思いました。
少なくとも中国では。
でも、それって、私たちが進むべき未来なのかな?
と疑問に思うのです。
バガヴァッド・ギーターは、ヒンドゥー教の重要な聖典で、
人生の本質について深い洞察を与えてくれます。
この教えによれば、
「たくさんのことをやるから豊かになるのではない」
のです。
行動ではなく、在り方
バガヴァッド・ギーターでは、
カルマ・ヨーガ(行動の道)について語られています。
ここで大切なのは、
カルマ・ヨーガは「より多くの行動」
を推奨するものではありません。
代わりに、
執着のない行動、結果に固執しない行動
の重要性を説いています。
有名な引用で、クリシュナ神はアルジュナに
「行動の中の非行動、非行動の中の行動を
見ることができる者は、
人々の中で賢明である」と語る場面があります。
行動の量ではなく質が重要だという教えです。
私は、初めて読んだ時、
言葉遊びのような文章で正直意味が分からない、
と思いましたけどね。笑
欲望の輪から解放される
私たちの多くは
「もっと」という終わりのない欲望の輪に
捕らわれているんだろうな、と思います。
でも、考えてみてください。
もっと稼いだら幸せ?
もっと手に入れたら幸せ?
もっと大きな家に住んだら幸せ?
バガヴァッド・ギーターは
私たちに警告しているんですよね。
「欲望は決して満たされることはなく、
燃える火に注がれる油のように、
欲望は常により大きくなるだけ」だと。
真の豊かさは外側にではなく、
内側にあります。
それは自分の内面の平和、満足感、
そして今この瞬間を十分に生きることにあるのです。
だから今に生きよう
バガヴァッド・ギーターは、
今ここにいることの重要性を強調しています。
一度に一つのことを完全な意識を持って行うことは、
心ここにあらずで多くのことをこなすよりも価値がある、
ということです。
これは、大ベストセラーになった
『チーズはどこへ消えた』の続編である
『プレゼント』でも同じことが言われています。
忙しさを美徳とする文化の中では、
何もしない時間って不安ですよね。
私は、何もせずボケっとしてると、
「置いて行かれた」という虚無感を感じながら
大学時代を過ごしていたので、
電車ではすかさず英語の勉強をしたし、
乗り換え中は必ずPodcastを聴いて勉強していました。
「何もしていない」ことに罪悪感を覚えていた私が
このような記事を書くのは説得力がないかもしれませんが、
今ではその経験があったからこそこう思っています。
静けさという時間は、
本当の意味で豊かな人生に不可欠なのだ、と。
現代版「エッセンシャリズム」
バガヴァッド・ギーターの教えを現代の文脈で考えると、
それは「エッセンシャリズム」に近いかもしれませんね。
すべてを行うのではなく、
本当に重要なことだけを行うという考え方です。
自分にとって本当に意味のあることを見極め、
そこにエネルギーを集中させることで、
私たちはより大きな満足感と充実感を得ることができます。
「たくさんのことをやるから豊かになるのではない」。
これは、バガヴァッド・ギーターを学んで
確信している考え方のひとつです。
真の豊かさは、行動の量ではなく、存在の質にあります。
バガヴァッド・ギーターの教えに従えば、
意識的に生き、内なる平和を育み、
私たちはより充実した人生を送ることができるのです。
古代インドの智慧は、
常に「もっと」を追い求める現代社会において、
私たちに立ち止まり、
本当の豊かさとは何かを問いかけるよう促しています。
本当に必要なものだけに囲まれたら、
移動も全部がラクになる♪
by Jessica Kato 加藤ジェシカ