学校で学んだことが、ほとんど記憶に残っていない理由
私は学校に行くのがとにかく嫌いで、
高校、大学と卒業できたことが本当に今でも不思議なほどです。
そして、私が学生時代を振り返って思うこと。
それは、学生時代、何百時間も費やして勉強したはずなのに、
今となっては教科書の内容をほとんど思い出せない・・・。
大学入学のために勉強したことが、
大学入学と同時に記憶から削除されている感覚すらありまして。
なぜ私たちは学校で学んだことを忘れてしまうのでしょうか。
しかも、最近は学校に行きたくないと思う子供たちも多い。
この理由を、
古代インドの聖典「バガヴァッド・ギータ」の視点から
私なりに考えてみました。
この日記帳は、バガヴァッド・ギータを基にした二つの視点と、
どのような学び方が良いのかをまとめています。
視点1: 知識を定義する
バガヴァッド・ギータでは、
知識の獲得と保持について深い洞察が示されています。
ます、知識というのは、
「数学ができる」「偏差値が高い」ことではありません。
ここでいう知識は、
「アートマン(真我・自分の魂)を知ること」と言われていて、
暗記して何かを獲得するための知識は含まれないのです。
ちなみに学びについても定義があって、
知識を自分のものとして消化し、
日常生活に適用する能力が高くなることが真の学びです。
学校教育では往々にして、
知識を「自分のもの」として内面化する機会が少なく、
表面的な学習に終始してしまいますよね。
学んで知識を得るときに大切なことは、
魂とつながった生き方ができるように学んでいくことかなと思います。
視点2: 成績を追うと人生は束縛される
バガヴァッド・ギータでもう一つ抑えておきたいのが、
「グナ」という三つの性質です。
その3つとは、
「タマス」(無知・怠惰)、
「ラジャス」(活動・熱情)、
「サットヴァ」(純粋・調和)です。
多くの学校教育は「ラジャス」的な性質を帯びています。
試験に合格するため、
良い成績を取るためという外的動機で学び、
常に結果を求めて焦りながら勉強するのです。
「結果への執着を持って行われる行為は、束縛をもたらす」。
テスト目的だけの勉強は、
深い理解や長期的な記憶につながりにくいのです。
これは勉強に限らず、
自分のなりたい姿に反した行動は、
焦りや束縛をもたらすので要注意です。
役立つ知識とは
バガヴァッド・ギータは「ブッディ・ヨガ」(知性のヨガ)の重要性を強調しています。
「知識は行為に結びつかなければ、意味をなさない」
というギータの教えは、
学んだことを実践に移すことの重要性を示しています。
使われない知識は忘れ去られる運命にあるのです。笑
さらに、バガヴァッド・ギータは
「カルマ・ヨガ」(行為のヨガ)の概念を通じて、
学びの過程自体に喜びを見出すことの大切さを説いています。
学びが義務や苦痛ではなく、
喜びとなるとき、それは心に深く刻まれるのです。
学校教育の多くは、
学びの喜びを感じられないのかもしれない、
と思いますね。
記憶に残る学びとは、
単なる暗記ではなく、
自分の本質に合った知識を、
喜びを持って実践に移すことから生まれます。
特に最近は学歴と関係のない仕事を
楽しめる人も多くなっています。
10代の人たちは、
自分が大切にしたいと思うことを見つけるために、
たくさんのことに挑戦するのが良いのではないかと思います。
何も経験せずに「好き」「嫌い」は分かりませんから。
いずれの専門性を磨くにしても、
学ぶ過程自体に喜びを見出すことができれば、
あなたの学びは単なる記憶ではなく、
人生を導く真の知恵となるでしょう。
By Jessica Kato 加藤ジェシカ